嫌われる恐怖

人から嫌われたいと思っている人は少ないですよね。

好かれなくてもいい、という人はいるでしょう。

でも、嫌われるのが怖くて、つい相手の様子を伺ったり、相手に合わせてしまうことは皆さん経験があるのではないでしょうか。

 

私も特に10~20代の頃は「嫌われること」にはとても敏感になっていて

嫌われることはものすごく恐怖で、「絶対誰からも嫌われてはならない」という価値観に縛られていた気がします。

「嫌われたかもしれない」と思うだけで心がざわざわして落ち着かなかったものです。

 

今、このことをゆっくり考えてみると、

あの頃は感覚として「嫌われる恐怖」を当然のものとして持っていたんですよね。

嫌われたくない、嫌われてはダメだ。

その先には、表現しきれない大きな恐怖があって、そこには目も向けたくないので

なぜ自分がそこまで嫌われるのが怖いのかを考えることもありませんでした。

 

今はその捉え方が少し変わり、

「嫌われたら私の何が無くなるから怖いと思ってるのだろう?」と考えられるようになりました。

例えば、嫌われたかもしれないと気になる人がいたとして、

具体的にその人と自分との関係性や、その人に嫌われた時にどんな実害が起きるか、

それによって自分はどれだけ困った状況に追い込まれるか。

 

また、感情としての悲しみはもちろんありますが、

悲しみはしっかりと受け止めてあげたらいいのですよね。

悲しいのは仕方ないこと。

悲しい私は、悲しいんだから、思いっきり悲しめばいい。

その悲しみをしっかりと自分で受け止めてあげると、案外悲しみは綺麗に浄化されてゆきます。

 

そうやって、状況と感情を切り離して冷静に考えてみれば、

その人から嫌われたとて、私の人生が大きく変わったりはしないんだ、ということに気づけたりします。

そして、嫌われた事実はまだ無いということに目を向けるのも、大事ですね。

はっきり「嫌われた」と証明されたわけではないのだから、

想像で嫌われたような気持ちになってしまうのは、勿体ない気がします。

 

当たり前のように持っていた「嫌われてはダメ」という価値観は、

多分、幼少期頃に形成され、生きる過程で必要だと思い、

自分の中心にどっかりと居座り続けていたのですが・・・

 

でも、それは今の自分にとって本当に必要なの?と聞いてあげることで、

自分なりの答えをみつけられるのかなぁと思います。

 

嫌われる恐怖以外にも、私たちは気づかぬうちに沢山の制限や決めつけを持ってしまっているし、

それが上手くいかない原因になっていることも・・・

でも、それを持っていた自分が悪いのではなく、

これからも持ち続けるかどうかは、今の自分が決めてあげられるんだと思えると、

皆さんの心も一段ふわっと軽くなれるのでは、と思ったりします(*^^*)

 

投稿者プロフィール

有城蘭
有城蘭くれたけ心理相談室(札幌支部)心理カウンセラー
北海道札幌市を拠点に心理カウンセリングを承っております。心の声に耳を傾け、心に寄り添ったカウンセリングを心がけております。

コメントはお気軽にどうぞ