あきらめるって…

こんにちは。

今日はプラス気温だから昨日の雪は溶けるかな〜と思っていましたが、

まだまだ道路は溶けかかった雪があってシャーベット状態。(これ滑るんですよね…)

友達が今朝事故ったとさっき電話もらったり(*_*)!

(友人に怪我は無く無事でしたが車がレッカーされました)

札幌の皆さんはお互いに運転気をつけましょうね。

 

最近、私の中で少し意識していることがあって、

それは『あきらめる』ことです。

諦めるって、もう(どうでも)いいや!って投げやりになるような感覚があって、

ずっと「諦めちゃダメ」と思ってきました。

 

『諦めたらそこで試合終了ですよ』という有名漫画のセリフもあるように、

諦めるって、そこまで頑張ってきたのにその努力が報われることなく終わってしまう…

あるいは、もっと頑張れば何とかなるかもしれない!と上向きに進もうとする気持ちを阻害するような、

そんなイメージが私の中にはありました。

 

でも仏教での「あきらめる」はちょっと違う解釈のようで、

私は熱心な仏教徒でも何でもないですが、

自分が楽になれそうな解釈だなぁと思ったので取り入れてみることにしたのです。

 

それは、「仏教での『あきらめる』は、『あきらかにみる』ということ」で、

物事の前提や思い込みを持たずにありのままを見ようとすることのようです。

 

そこで私は嫌なこと・困難なことがあった時、

誰の目から見ても明らかだなぁと思うことを、

そのまま受け止めるように意識してみることにしました。

 

自分にとって理不尽だと思う出来事には悔しいとか悲しいとかの思いが付いて来ていましたが、

「その出来事は理不尽」なことは明らか。

そこに不満を持っても、どうにもならない。

理不尽だなぁと思う、それ自体を仕方ないねと受け入れる。

そんな風に思うと、いつまでも悔しさや悲しさで鬱々としたりモヤモヤすることが減った気がします。

 

仕方ないねと受け入れることが、あきらめるってことなのかな…

と、最近は思えるようになりました。

決して後ろ向きで投げやりで満たされない気持ちではなく、

「仕方ないことに納得できた」感覚なのです。

 

もちろん出来事によっては、受け止めるまでにかかる時間も違います。

でも、ずっと悔しい・悲しい気持ちを抱え続けるのも、

それに蓋をして見ないフリをするのも苦しいということを知っているので、

最後に自分が楽になる道を考えた時、

『悔しさや悲しみが報われないのも明らかだから、この明らかな事実を受け止めようか』と思えると

案外心は納得できて、その悔しさや悲しみを手放せたりするんだな…と思えたんですよね。

 

カウンセリングにおいてもそうだと思うのですが、

最終的に心は楽になりたいと願っているはずだから、

どんな方法で自分が楽になれるのか。

いろんなやり方を試してみると、しっくりくる方法が見つかるかもしれません(*^^*)

 

投稿者プロフィール

有城蘭
有城蘭くれたけ心理相談室(札幌支部)心理カウンセラー
北海道札幌市を拠点に心理カウンセリングを承っております。心の声に耳を傾け、心に寄り添ったカウンセリングを心がけております。

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