誰かに選んでもらえなくても
今日は一日、ほぼ陶芸をしていました。
電動ろくろは陶芸教室に行かないと使えないけど、手びねりなら自宅でもできます。
陶芸は間に何度かお休みをはさみつつ、 トータルで5年位はやっていると思います。お休みを挟んでも、手が覚えているのか、少し土を触っていると久しぶりでも以前のように作れたりします。
今日は久しぶりに一輪挿しを作りました。
私はハンドメイド作家として14年ほど活動しています。
年に数回、ハンドメイドイベントに出店して、自分の作品を販売しています。
私は色々な物を作るので、何の作家かといわれるとはっきりと答えられません。何か一つのジャンルに絞って、その道一筋でやった方が良いのか…?と悩んだことは何年も、何度もあります。
木工作家、洋服作家、アクセサリー作家、布小物作家、陶芸家…
世の中には、ありとあらゆるジャンルの手作りがありますので、それだけをやっている人から見たら、私は邪道なのかもしれませんね。
私が色々な物を作る理由は、自分の作品たちで『雑貨屋さん』を作りたかったからです。
私は当時、自分に自信がなく自己肯定感も低かったので、私なんかが作ったものでも、もし欲しいと思ってくれる人がいたら、自信になるかもしれないと思っていました。
数年後、その考えは間違っていることに気づきました。
ハンドメイド作品はすべてオリジナルなので、デザインや作り方も自分で考えたりします。
そうして丹精込めて作り上げたものに値段をつける。それが売れると嬉しいけれど、売れないとまるで自分が売れ残ったような、ダメ出しをされたような気持ちになっていました。
売れないものには価値がない。いつしか、そう思ってしまっていたんですね。
そう思いながら作家を続けることはとても苦しく、だんだんと作ることが楽しめなくなりました。
作ったものを誰かに認めてもらう(買ってもらう)ことで初めて価値を見出せるとしたら…誰かに認めてもらえなければ価値がないのと一緒です。でも、頑張った自分の努力や出来上がった作品が売れ残ったとして、それらが無価値だと思うことは正しいでしょうか?
私には苦痛でした。そして、ある人にこう言われました。
「人に評価されることをしているのに、自信につながるわけがない」と。
そうですよね。そう言われてやっと自分の苦しさに気づきました。私が努力して頑張って作り上げたものを誰かに良い悪いの判断をしてもらって、自信になんかなるわけが無かったのです。
それに気づいてからは、自分の作品を「私なんかが作ったもの」と思うことはやめました。
私が一生懸命作ったものです。今の私が好きだと、かわいいと思えるもの。それを作った。沢山考えた。そして頑張った。そのこと自体に満足できれば良かったのですよね。
勿論、誰かに選んでもらうことは嬉しいことです。ありがとうと沢山感謝します。
でも、選んでもらえなくても、自分が認められればそれでいいと今は思えるようになりました。無価値じゃない。頑張ったことは消えないし無駄じゃないのです。
自分の努力は自分が一番わかっているので、それをきちんと受け止めてあげることで、自分を苦しくさせる考え方を自然と手放すことができました。
そして、そう思えるようになってからは、また以前のように物づくり自体を楽しむことができるようになりました。
人の評価を無意識に自分の価値に置き換えていたことに気づけたことで、それまで自分を苦しめていた考え方を手放すことができました。すると、同じことをしていても苦しくなくなり、楽しめるように。こんな真逆なこともあるんだ、と実感しています(^^)